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執筆者の写真東京黒百合会

私のモチーフ

                                       (2021/06)  長谷川 脩

 卒業の年、黒百合会展は60周年を迎えた。学生時代最後の作品として何をテーマにしてまとめるか、卒論や就職などと共に気になっていた。

 その年の春休み、学科が企画した企業見学が関西でも行われ、足を延ばしたついでに愛媛県の石鎚山山麓に拡がる「面河(おもご)渓谷」を訪れた。春まだ浅く人影は少なく、切り立った崖、白く飛散する急流、複雑な表情の岩、取り巻く樹木など、自然が目一杯詰まった光景が続き、それらを渓流の音が支配しているかの様な風景が広がっていた。その荒々しい渓谷の美しさに圧倒されながら歩いた。乗客のほとんどいない帰りのバスの中でも、しばらく昂揚した状態が続いていた。難しい題材に思えたが、他にこれという良いテーマも思いつかず、結局この場所から持ち帰ったものをモチーフにして作品をまとめることに決めた。けれども、資金面と時間の面で苦労をさせられることになる。

 当時、六畳一間の下宿住まいの身では余裕は無く、アルバイト先に理由を説明して前借りを頼み込み、40号のキャンバスと新たに必要な筆、絵具などの材料費を捻出した。唯一の無心例である。

 制作中のある日、下宿に戻るとおばさんから「学校に行かなかったの?」と聞かれぎくりとした。絵の追い込みで、しばらく研究室への足が遠のいていた留守中に、先生が訪ねて来られたらしく、「迷惑を掛けないのよ!」とキツイおしかりの言葉をもらった。徹夜明けの搬入当日、生乾きの画面を気にしながら早朝の円山公園始発の市電で第2サークル会館にあった部室へ運び込み、仮枠用の角材の釘打ちを行なって一息ついた。展示を終え、教官室へ謝りに行ったが、特別なことは何も言われなかった。しかし、無言の背中は、卒論の進捗は大丈夫なのか?と語っているようだった

 「丸井今井」で開催された会展に出展したこの絵「滝」は、炭鉱関連会社勤務のS氏から思いもかけない申し出を受けて、譲ることになった。

 卒論の審査が終わり、名刺を頼りにS氏のご自宅を訪ねた。絵は展示会用の仮枠に代わり、懇意の大工さんに製作を依頼したという二層の枠組みの額に入って、居間の正面の壁に掛けられていた。札幌を離れることになる卒業を目前にして、「滝」がこのように居心地の良い場所を与えてもらった安堵感と、制作を手掛けてきて良かったという気持がにわかに湧き上がってきた。

 後年、面河渓谷を再訪する機会が出来た。鮮明に残っている記憶で期待が膨らむ一方、伝え聞いていた「道路建設による広範な原生林の伐採と土砂の流入」や「発電と農工業用水確保のダム建設」等の情報から不安も感じていた。事前の予想を遥かに超え、開発は深い爪痕を残していた。人工の技術は、取り返しのつかない程に膨大な自然を喪失させてしまっていた。あれほど豊穣だった風景に再会することは、残念ながら叶わなかった。


「滝」 油彩 F40 1966/11


 卒業後20年余が過ぎてS氏の訃報が札幌からではなく九州から届いた。余生を釣りが楽しめる地に求め、春には白魚が産卵で遡上する川のある福岡県二丈町(現糸島市)に移住されていた。

 それから更に20年以上が経過し、夫人から電話を頂いた。絵はいつか返却するようにとのS氏の遺言があったということと、ご自分の健康状態を考え今のうちに返却したい旨を話された。一学生の絵が、このように大切に扱われてきたことにただ感謝するばかりだった。電話口で、お礼を述べながら一瞬胸が詰まった。

 卒業制作としてまとめた絵が、40数年を経て、手元に戻ってきた。かつて感動した風景と若かった自分の姿が重なる。そのどちらも風化を免れていないが、絵は表面に付いたホコリと汚れを洗浄し、額に拡がっていたひずみを矯正して、階段踊り場の壁のスペースに飾ることにした。

 稀有の自然環境ときめ細かな四季の彩りに恵まれた国土には、まだ多くの景観が存在するはずだと絵を前に思う。あの時の風景に匹敵するモチーフを見つけ出すこと、その期待は今も変わらない。


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