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執筆者の写真東京黒百合会

私のモチーフ

(2019/11)  長谷川 脩

 下の写真は、あるカメラ雑誌に載っていた「図画の時間」(英訳名:Young Artists)という題の応募作品で、今も切り抜きがスクラップ・ブックに残っている。「これは珍しく洒落た写真である。地方の学校のありふれた平凡な材料を扱って、この画面構成によってここまでユニークな作品としたことは賞められて良い」と選評は賞賛している。そして「遠景を、白一色にとばした望遠レンズの効果と、画用紙の上の光や歩く子供の画板のハイライトで画面が生き生きしている」と一等に推した理由をあげている。


 この写真を見ると、きまって、丸亀で過ごした小学校の時の図画の時間を思い出す。坊主頭の少年の姿は、その頃の自分とそっくりである。

 当時、瀬戸内海は透明度も高く、現在は姿を消した塩田風景が海岸線に広がっていた。その一角の地方の町には、まだ素朴な自然が溢れていた。

 担任のM先生が「今日は屋外写生」と告げると、歓声をあげて校門からお堀を隔ててすぐ傍にあるお城(丸亀城)へと向かった。教室から解き放たれて飛び込んで行くお城は、季節の変化と息吹を存分に感じさせてくれるもので満ちていた。城壁の上からは、北側に備讃瀬戸の海と島々(塩飽諸島)が、南側に飯野山(通称:讃岐富士)とその麓の田園風景が見渡せた。山城であるお城を覆う樹木と周囲のお堀は、昆虫や野鳥など多様な生き物の住み家だった。特に「掻い掘り」と呼ばれるお堀の水抜きの時に、驚くほど多くの水生生物を目にすることができた。

 豊かで良質な自然の中で描くことは楽しく、その雰囲気は、呼吸する空気と一緒に、身体の中に染みこんで来たように思われる。

 夏休みのある日、宿題の絵の題材をどうしようかとお城をうろつくうちに校門の前に出てしまった。ちょうどその時、職員室の窓が開いて、M先生が顔を覗かせた。何をしに来たのかを聞かれたので訳を話すと、クラスの仲間にも声を掛けるから道具を持ってまた来るようにと言われた。クラスメートの何人かが参集し、一緒にスケッチ・ハンティングに出掛けた。それまでに描いたことのない場所を探そうということで意見がまとまり、決まったのが、北側の城壁の下に木陰を作って拡がる樹間の風景だった。

 先生は授業の時より一層うち解けた様子で、描くことの好奇心をかきたてるように、ねらいの決め方、構図の取り方、そして色の重ね方などを丁寧に教えてくれた。作品を仕上げて家に帰る時、宿題の一つを片付けて満足だったが、それよりも、新しい領域への一歩を踏み込めたように感じて、弾んだ気分だった。「子供はみんな芸術家である」という言葉をピカソが残している。我が“Young Artist”の作品が完成した。

「風景」 水彩, 四つ切, 1952/08


 夏休み明けの学内展示で、先生が「風景」という題名を付けてくれた。夏休みの一日、いくつかの偶然が重なって一枚の風景画がまとまった。少年時代の一時期を過ごしたこの地で、目にした色彩はそのどれもが鮮やかだった。中でも、この日描いた樹間の緑色は、特別な色彩として、こころの白い画用紙にも残された。この絵を見返すと、スケッチ時の情景の一つ一つが脳裏に浮かんでくる。それと共に、M先生がひとりの生徒の意向に寄り添って時間を工面してくれた、その温かい配慮に、少年は良く分かっていなかったが、今は、はっきりと気づくのである。


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