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執筆者の写真東京黒百合会

私のモチーフ

                                       

・新聞広告のスケッチ・ に思う     小石浩治


Ⅰ. 遠近法/ 絵の奥行き

絵を学び始めた頃、先生から「風景画を描く時は奥行きのある構成にしなさい」と教わった。

奥行きを出すためには、前景・中景・遠景を生かしながら意図的に強調する方法として空気遠近法(色による奥行き)透視図法(線による奥行き)消失遠近法(明度による奥行き)  の3つを挙げられた。更に、1点透視、2点透視、3点透視と言う話になってくると難しくなりつい上っ面だけの理解に終わり、写生現場で建物などが素早く描けなかったことが何度もある。

目下、遠近法とは・と問われたら、いつも下図(葉書絵)の構図を思い浮かべながら、

<・・近くは明暗ハッキリと大きく、遠くは薄く小さく描く・・>とアバウトな説明をしている。

※ 下図:「シニョリーア広場の楕円形モザイク」(16世紀の作)(伊・ニョリーア銀器博物館蔵)

これは「フィレンツエ式モザイク」と呼ばれるもので、貴石象嵌でできた「石の絵」である。

金箔の彫像はコジモ一世騎馬像、遠景の開廊内にペルセウス、サビニ女の略奪等が見える。

水晶を素地として銀色に輝く建物はヴェッキオ宮殿、ラピスラズリ(和名・瑠璃)は青空。

  


この「石の絵」ハガキの意味するところは、

① 地面の無数の石片の行く先と建物の稜線は、遠くに行くに従い重なって「点」になる。

② 石片と建物など、近くは明暗がはっきりするが 遠くに行くに従い曖昧になる。即ち

 「奥行き」とは [―近くをハッキリ、遠くは薄く--] ・・それが遠近法だと理解した。

  

Ⅱ. 新聞広告の表現

「石の絵」が遠近法であるとして自然や事物を見ていた時、ある新聞広告が目にとまった。

見出しは「世界の街に、安心の暮らしを」(三和グループ・2015/7/27・日経新聞・全面広告)である。

風景画で、遠景は高層ビル群、中景は商店街、街路樹、近景に娘が道の中央に立って街全体

を見ている・という設定で、スケッチしたものだ。


(「街のスケッチ」図)

「1日のはじまり・世界の街で暮らしが動き出すとき、・」と謳った「建材会社」のPRである。

街をスケッチした広告だが、遠くの「ビル」に向かう商店街と道路に立つ「娘」の背丈、

画面上の位置について、「石の絵」の「遠近法」とは逆の描き方であることに気が付いた。

と言うのは、ビルに向かう商店・街路樹・舗道の流れ、店の前の人と娘の目の高さなどの寸法が合わない。

ビル入口を遠近法の「消失点」とすれば、街路樹は手前から斜めに向かう筈だ。

遠景のビルは、時計文字が見える程細かく、ビルの屋上の赤十字マークもハッキリ描いているが、近景の商店・パン屋等の描写がなんとも粗雑だ。

更に舗道、街路樹の並び、車道幅との関係、自転車の娘とパン屋の親爺の背丈、開店準備の女の背の高さと自転車の娘の高さと整合性がなく、いかにも“付けたり”の感がある。 

たかが「広告」に、そんなに目クジラをたてることもないのだが、「スケッチ」全体として「見た目が自然」ではないのが気に入らない。  

 

Ⅲ. 広告の意図

この「不自然さ」の原因は車道に立つ「娘」の「目線」にあると考え、前述「石の絵」の図法に従い、スケッチを描き直してみた。

こうすれば、ある程度、絵は安定して画面を見ることが出来るが、今度は、遠景のビルは遥か遠くに行き、商店の並ぶ舗道や店の人物描写に物足りなさを感じる。風景画として強調するところがなく感動が伝わらず、画面そのものもつまらない。



いや待てよ、作者は前述の「石の絵」とは逆に遠景を詳しく描いたのは、「1日のはじまり商店街」は二の次で、遠景の<建物・ビル群こそ我ら建材会社の成果、商店街を支えているのも我等である>とアピールしたかったから、遠景の「ビル」と「娘」をリアルに描き、  

娘の目線を誇張した遠景のビルに向けたのだ。

広告は、スポンサーの意向を汲み、売り物を最大誇張すればよいので、16世紀の遠近法にこだわる必要はない。架空の「不自然な街のスケッチ」でも、スポンサーの意向に沿って居れば、近景の処理はコレで良いのだ。文句はないだろう・・・と。

しかしね、現代社会は建物一つにも周囲の環境に添うことを要求される時代じゃないのか。

林立するコンクリートの世界だけが安全・安心・快適と言う訳ではない。地域との連携、活気ある街の景観そのものが、購買意欲(住みたい希望)を駆り立てる。したがってスポンサーが訴求する 「一日のはじまり」「安心の暮らし」をスケッチしてアピールするには、遠景も中景も近景の娘もしっかり描いて、「見た目が自然」であるように構成することが大切ではないか。

昔、近江商人が「三方良し」が“商い”の本道と言った。「売り手」「買い手」「世間」の三方、つまり遠=業者、中=消費者、近=読者の三方が、「自然」な景色に溶け込み、この快適な環境なら住んでみたいと思う気持ちになる・。それが商い=広告のあり方だと思うが、言い過ぎだろうか。


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