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  • 執筆者の写真東京黒百合会

私のモチーフ

(2022/08) 鏑木照美


 下のデッサンは油絵を始める前、対象物の形を捉え正確に描く基礎を習得するために講師から課せられた石膏デッサンの一部です。この地味で根気のいる作業をいとわず続けられたのは、思いどおりの色彩を使い早く対象をカンバスの上に描きたいという気持が強くあったからだと思います。当時のデッサンが20数枚残っていますが、1枚のデッサンに3~4日を費やしていました。










「デッサンA 半切」 「デッサンB 半切」

 26th.Oct.1974  29th.Jun.1974


 油絵具を使いカンバスに向かうようになり、しばらくは花ばかり描いていました。その後、対象を外の風景にも広げていきました。

 その頃、主人はタイの日本大使館勤務で、私たち家族はバンコックで生活をしていました。4年の勤務を終え帰国後、しばらくして友人の勧めで私は「アジア婦人友好会」に入会しました。この会は、護憲活動に尽力された三木睦子総理婦人(2012年逝去)が「日本はアジア諸国の人々と手を取り合い、平和と繁栄を図って行くことが大切」との考えで1968年創設されたものです。

 ある年、この会が企画したミャンマー旅行に参加して、古都バガンで一泊しました。この地は、他に類を見ない景色が体感できる場所でした。バガンは、11世紀にビルマ族によって築かれた都市でパゴダ遺跡群が有名です。パゴダとは、お釈迦様の髪、骨などが納められている仏塔で広大な平地に最盛期には約3000基もあったと言われています。周辺の仏教国であるインド、スリランカ、カンボジアタイ等から僧侶が集まり仏教の聖地となりました。今でも宗教文化の重要拠点であることは間違いありません。

日の出、日の入りの時刻にはより一層幻想的な空間が広がります。バガンでしか見られない風景をこの目に焼き付けられたことは、忘れられない貴重な体験でした。「アジア婦人友好会」のおかげですが、その後2度程訪ね、このバガン固有の景色をしっかり心に留めて描いたのが「バガンの夜明け」です。



「バガンの夜明け」 油彩  F80


 息子が北大の馬術部にいたご縁で、東京黒百合会に入会させていただいた2017年の前年、ミャンマー地震(M6.8)が起きました。耐震構造ではない多くの寺院、仏塔が損壊しました。この時、諸外国の技術者と共に綿密な復興プランを立て適切な修復を手掛けたのが日本でした。この貢献のお蔭で、2019年の世界遺産登録へと繋がったと聞いております。

 初めて見た古都バガンの風景には本当に感動しました。エーヤワディー川の中流域に果てしなく広がる大平原、ただただ平らに続く約40km2の乾いた大地に、大小さまざまな寺院・仏塔が点々とはるか遠くまで続きます。仏塔が造られた当初は全て漆喰で化粧されていたようですが、長い年月の間にそれが剥がれ、多くの仏塔は内部のレンガが剥き出しになり、赤茶けた色をしています。しかし、それも却って味わいのある風景になっています。朝もやの中、朝日を浴びた無数の仏塔が赤く輝いて浮かぶ姿はバガンならではの光景です。

 現在の同国の政情不安が一掃されて、再び仏教徒の喜捨の精神と心優しい姿が復活することを願ってやみません。


  

   

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