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執筆者の写真東京黒百合会

芸大コレクション展2020

    記 小石浩治


 東京美術学校、東京芸術大学の130年以上の歴史を、その時々に収集された資料と共に辿る‥と言う展覧会が、9/26~10/25日に東京芸大美術館で開催された。

 芸大所蔵の歴史的な資料を定期的に公開する「芸大コレクション展」。受付で手にしたパンフレットは、主要な作品をカラーで埋めた「芸大画集」と呼べるほど立派なものであった。余分に分けてもらえないかと聞いたら、芸大美術館に来た方、お一人様一部に限ると言われ、諦めざるを得なかった。以下に、パンフレットを参考に、展覧会の構成を振り返る。

(パンフレット=全14ページ、絵画作品30点以上、自画像は42点を収録)


第一部 「日本美術」を創る

1885年(明18),美校の前身・図画取調掛が文部省に設置され、国の政策として美術教育の振興が推し進められる。

1889 年(明22)に東京美術学校開校、翌23年、岡倉天心が初代学校長に任命される。

第一期生の中には横山大観、下村観山らが居た。やがて天心は学校拡張計画を打ち立て、

日本画科中心から西洋美術も奨励するため、西洋画科、図案画科が設置され、黒田清輝は西洋画科を主導した。


下村観山「天心岡倉先生」

(イントロダクション)会場正面に陳列

高橋由一「鮭」、原田直次郎「靴屋の親爺」、黒田清輝「婦人像・厨房」が観客を出迎える。           


第一章;1889年、東京美術学校と最初期のコレクション (1922年作-1932年納入) 官立として東京美術学校は日本初の美術家、美術教員養成機関である。その草創期、美術の制作・研究に不可欠な参考資料の収集には、開校準備期間から天心が尽力した。

「羅漢図」(南宋時代)、狩野永徳「松鷹図屏風」(桃山時代)などがあった。


第二章;1896年 黒田清輝と西洋画科

黒田は西洋画科開設にあたりカリキュラムを策定、1年目は石膏デッサン、2年目は人物(裸体)デッサン、3年目に油彩を学ばせ、4年目の卒業制作に至ると言う、あくまで実物を見て写生することを重視した画期的なものであった。

明治美術界において、黒田は新派(紫派)と言われたが、収集品には藤島武二や岡田三郎助等、新派の作家に止まらず、高橋由一(鮭)、原田直次郎(靴屋の親爺・1886作)


旧派(脂・ヤニ派)の作品も公平に収集した。

 (西洋絵画と模写):

黒田清輝が収集した参考美術品に18世紀前の古典絵画・ 巨匠の作品の模写がある。黒田が学んだフランス美術アカデミーの教育課程には、この古典絵画模写があった。(石膏像等、ルーブル美術館から良質なものが購入された)

特に重要な役割を果たしたのが文部省の給費留学生たちであり、留学の成果として名画の模写を提出している。久米桂一郎、黒田清輝などの模写が収蔵されている。


久米桂一郎「小児と葡萄」模写 


黒田清輝「トウルヴ博士解剖講義」模写)


第三章;美校の素描コレクション

東京芸大の前身ともいえる工部美術学校は1876年に政府による工業教育機関である工部省工学寮の美術学校として設置された。ヨーロッパのアカデミックな教授法による授業が開始されたことは、近代日本美術にとって重要な意義をもつ。

イタリアから画家のフォンタネージ、彫刻家ラグーザ、建築家カペレッテイの3人が教員として招かれ、夫々、絵画、彫刻、図学を担当した。集まった学生には、小山正太郎、浅井忠、五姓田義松、山本芳翠ら、その後の明治美術界で活躍した人物たちの名が連なる。


第四章; 1900年 パリ万博と東京美術学校

万国博覧会は世界の最先端の産業・技術を展示する工業の祭典としての側面が強かった。

1855年の第1回パリ万博以降、美術部門が重視され、芸術と産業の祭典にアップグレード

されていた。1873年ウイーン万博、1893年シカゴ万博での成功を受けて、積極的に優れた

美術工芸品を多数出品、日本美術史を広く紹介するなどの明治政府も後押しした。

もとより東京美術学校も積極的に参加し、1900年パリ万博では黒田清輝は「湖畔」「智・感・情」(東京国立文化財研究所蔵)を出品、油彩画で銀賞を受けた。

しかし、現地における事務局の報告では、日本画称賛を受けたのは「本邦伝来ノ旧技」に

よってであり、「文明的事業ノ表示」については振るわなかったと記録された。


※ 藤島武二は、はじめ狩野派や四条派等の日本画を学んだ後、洋画へと転じ,山本芳翠らに師事。1896年(明29) 黒田清輝の推薦で東京美術学校の助教授に、黒田の許で外光描写、人体把握等を修得。


第五章;1931年 官展出品・政府買上作品

コレクションには、教材としての古美術や学生作品のみならず、同時代に高い評価を

受けた作品も含まれる。文展や帝展へ出品後、政府の買い上げとなり、東京美術学校に移管

された作品群である。現在、芸大は1931年の第12回帝展から1946年の第2回日展に至るまでの政府買上作品を日本画、彫刻、版画併せて43点収蔵している。

松園、清方、古径、青邨、山本岳人達の作品が並んだ。


上村松園「序の舞」1936(昭11) 


鏑木清方「一葉」1940年(昭15) 


小倉遊亀「径」1966年・71歳頃。(東京芸大美術館蔵)


第二部 「自画像を巡る冒険」

東京芸大の所蔵品の特徴の一つに、「参考美術品(教材)」の他、生徒の卒業制作の一環で作られた「自画像」のコレクションがある。現在は絵画、彫刻、工芸の各科が自画像を納入しているが、この慣習は1896年設置の西洋画科からはじまり、その後の1949年(昭24)に東京美術学校から東京芸術大学に改組したのち順次、各科も定期的に納入、結果、登録された自画像は6000件を超える。本誌は、西洋画科で自画像制作を創めた黒田清輝(留学中の制作・国立博物館蔵)を参考に掲載、芸大学生の自画像は2点のみ掲げた。


黒田清輝 23歳(留学中)「トルコ帽」1889年(明22)(東京国立博物館蔵)      


藤田嗣治1910年(明43)(東京芸大蔵)


小磯良平 1927年(昭2)(東京芸大蔵)



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