空蝉(うつせみ)とは、蝉の抜け殻のこと。蝉の卵は樹の幹や枝に産み付けられ、そこで孵化した幼虫は地中にもぐり、樹の根の汁を吸って成長する。その地中生活は数年から十数年に及ぶものもあると言う。充分に成長した幼虫は、夏になると地上に這い出てきて、樹の幹や枝に六肢をしっかり固定して脱皮する。羽化を果たした蝉が飛びたった後には抜け殻がそのまま残る。樹にしがみついたままや雨風で地表に落ちたものもあるが、その姿は人々に何かしら哀れを誘う。古来、空しいこと、儚いことの譬えにも使われ、この世の無常観とも結びついて「うつせみ」の音が当てられて詩歌に多く詠われてきた。
鳴き方で、ミンミン蝉 アブラ蝉 クマ蝉等に区別されるようだが、雌は鳴かず唖蝉と呼ばれる。
芭蕉の「閑さや岩にしみいる蝉の声」は、歌人・斎藤茂吉がアブラ蝉だと言ったら、文芸評論家・小宮豊隆がニイニイ蝉だと言って論争になった。茂吉は芭蕉が詠んだのと同じ時期に立石寺に行くと、確かにニイニイ蝉しか鳴いていなかったことから、この論争は「ニイニイ蝉」で決着したそうである。
文芸論はさておき、狭い庭にモクレンが植わっているが、今年の夏も蝉が止まり、羽を震わせて精一杯鳴きたてる。樹の周りに眼をやると、紫陽花や草茎にのぼった空蝉がしがみついている。人間のヘソの緒のような白い糸が残っている。羽化する瞬間の姿を実際に見たことはないが、昆虫図鑑によれば、前肢、中肢、後肢の順に抜けた後、全身が抜ける。真夜中に誰の助けもなく。やがて翅全体が固くなり色づいていく。たったニ三週間ほどの短い命を全うするため、近所の家の樹木に向かって飛び立っていく。
空蝉の太さ1ミリにも満たない肢の先端は、殻を背負って小枝や草茎から離れようとしない。まるで、飛び立った蝉が、また帰って来て殻に入るのを待っているかのように。
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